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バイオリズム biorhythms
 
  わたしたちの日常生活に大きな影響をおよぼすと言われる周期の一種。ただし、生物学的な周期を研究する科学者たちは、その存在を認めていない。
  バイオリズムの各周期は人が生まれた瞬間、ゼロにセットされることになっている。また古典的なバイオリズム理論によれば、周期の数は三つとされる。すなわち、知性(三十三日)、感情(二十八日)、身体(二十三日)である。生年月日と生まれてからの日数さえわかれば、その人の現在の周期の状態を判断できる。二〇〇二年二月十五日生まれのある人の、同年三月十八日のバイオリズムグラフであれば、図示したようなものになる。中央を走るのはゼロの線である。周期がそのゼロの線より上のときはプラスの相、下のときはマイナスの相にあるといわれる。最初の四分の一周期は上昇してゆく。次に半周期分下降し、さらに最後の四分の一周期になると、ふたたびゼロの線に向かって上昇していく。こうした周期は死ぬまで繰りかえされる。五十八年と六十六日ほど生きると、三つの周期のすべてが生まれたときと同じゼロの線上の点に戻る。これを再生(リバース)の瞬間だという人もいる。
  またバイオリズム理論によれば、各周期には特別の点がいくつかあり、そこに達するととくに元気になったり、とくに弱ったりするらしい。「転換点(スイッチポイント)」日(各周期が上昇あるいは下降中にゼロの線をよぎるとき)は「危険(クリティカル)」日にあたり、その日にやることはまるでうまくいかない、ということになっている。危険日にはとりわけ事故にあいやすい、という予測がなされたことまであるほどだ。だが、この経験的主張はすぐに検証できる。そして、すでに嘘だとばれてしまっている(★315)。しかしいっぽうで、日数が奇数の周期には、ちょうど周期の真ん中に当たる日がない。この事実のせいで、何やらいいかげんな計算処理がなされている。たとえば、バイオリズム理論を裏付けていると言われるある研究によると、全事故の約六割は危険日に発生しているという。しかし、危険日の日数は全体の二十二パーセントしかない。だからこの研究の言うとおりであれば、この統計値はたぶん偶然の所産ではない、ということになり、こういうデータから見てバイオリズム理論はすでに裏が取れている≠ニ肯定派は正当に主張することができる。けれども、バイオリズムの研究家は、転換点日の前後の日も危険日に含めている。すると実際には、全日数の約三分の二が危険日にあたる。だからそのデータも、偶然によって期待される値におさまっていることになる(同)。
  危険日はそれ以外の日の倍の日数ある。その事実にもかかわらず、危険日とは前もってそのことを知って用心したいような日です≠ニ肯定派は言う。たとえば、思考力をはかるようなテストを受ける予定があるならば、知性周期が危険な点や低域の点にある日に試験日があたらないようにするべきだという。また長距離走が専門の人は、つぎのレースの日取りを身体周期のピークにあたるときにしてみるべきだという。
  いっぽう最悪の日は、定説によれば「トリプルクリティカル」(三つの周期がすべて転換点にめぐって来たとき)である。つぎが「ダブルクリティカル」(ふたつの周期が転換点で交わるとき)である。さらに上昇、下降、転換点等々をたどるうち、周期の様相は複雑になっていく。しかし、理論に沿う事例はたやすく見つかる、ということくらい数学者でなくても理解できる。たとえば、身体周期は一周期が二十三日である。つまり、転換日は十一日半ごとにめぐって来る。だから言うならば、どの転換日についても心臓発作の起きる確率は約十一分の一ということになる。心臓発作のあった日が身体の厄日にあたるということには、大半の人が同意してくれるだろう。バイオリズム説の正しさを確かめるための経験的テストとしては、心臓発作にあった人のデータを集め、身体の転換日に心臓発作を起こした人の数が九パーセント(十一分の一)を有意に上まわっているかどうかを確かめればいいだろう。ところがビリーバーのよく持ち出す根拠といえば、クラーク・ゲーブル(一九〇一〜六〇)や誰かほかの人が転換日に心臓発作を起こした、という逸話なのだ。心臓発作にあう人は毎年無数にいる。その十一分の一は転換日に発作を起こすことが確率的に期待される。同様に<体に深刻な問題>が<身体の危険日>に起きた人≠フ事例がいくつも見つかるということも、当然起こってしかるべきなのである。
バイオリズム研究家はたいてい、危険日の前後もまったく同等の厄日としている≠ニいうことを考慮に入れるならばクラーク・ゲーブルの話のような逸話は、理性的な人を退屈のあまり眠らせてしまうだろう。つまり、一周期二十三日のうち六(ヽ)日(一生のうちの二十六パーセント)が、体の危険日にあたるわけである。すると体調の悪い人が身体の危険点にもいる確率は、誰にしても約四分の一にのぼることになる。こういう確率を踏まえると、身体周期の厄日の人に関する逸話はとりわけ取るに足らないものということになる。バイオリズム説を意味のある形で試すには、心臓発作にあった人のことを調べるといいかもしれない。被験者のうち二十五パーセントより有意に多い人数が危険日に心臓発作を起こしているとすれば、それはスクープということになる。
  代表的なものながら役に立たないバイオリズム理論検証法≠ェもうひとつある。毎日グラフに値を記入すると同時に日記もつけ、バイオリズム理論がどんなに正しいものなのかをあとづける、という方法だ。女優でバイオリズムの熱烈な信者のスーザン・セント・ジェームズ(一九四六〜)も、このようにしてきたようすをかつてテレビのトーク番組で述べた。彼女のグラフによると、感情が低調とグラフから予測のつく日には、実際に気が動転する。体調がいいと予測のつく日には、やはりたいへん気分がいい。また知性周期が低調な日には、何ごともきちんと考えられなかった=B周期と実生活が一致するこの現象は、自己成就予言(セルフ=フルフィリング・プロフェシー)や確証バイアスや主観的評価であると理解されている。このバイオリズム理論検証法を何と呼ぼうと、この検証法は科学ではない。
  またべつの実験では、被験者の女性にその女性のバイオリズムグラフが渡された。その女性はそれから二カ月間毎日、日記をつけ、グラフが正しいかどうかを評価することになった。するとその女性は、グラフの内容が「少なくとも九割方は正しい」と報告してきた。そのグラフがニセものであったにもかかわらず、である(★587)。さらに、誤りがあったと言って、日記と新しいグラフを照らしあわせて調べてみるように命じると、その女性は新しいグラフは最初のグラフよりいっそうよく当たっている≠ニ報告してきた。ところが、その第二のグラフもやはりニセものだった(同)。被験者は日記に書いたことを靴べら的行為によってグラフの内容にこじつけていたのである。
  そもそもバイオリズム理論は、十九世紀にヴィルヘルム・フリース(一八五八〜一九二八)が提唱したものである。フリースはベルリンの医師・数秘学者で、ジークムント・フロイト(→精神分析)のよき友にして患者でもあった人物である。そんなフリースは、(フリース自身が)いかなる数を選んでも、その数を、二十三か二十八、もしくはその両方を用いた数式で表記する方法を見いだせる≠ニいう事実に好奇心を寄せた。

  フリースのいう基本公式は、23x+28yと書きあらわせる。xとyは正または負の整数である。ほとんどどのページを開いてみても、フリースは自然現象にこの式をあてはめている。現象の範囲は細胞から太陽系にまでおよぶ。……その基本公式の場合、二十三と二十八の代わりに、互いに素であるいかなるふたつの正の整数をあてはめても、どんな正の整数でも表せるる、ということが彼にはわからなかった。この公式をこれほどたやすく自然現象にあてはめられる、というのは不思議なことでも何でもないのだ!(★244 一三四〜三五)

 二十八という数から、フリースは生理周期を連想した。それゆえ彼は、世界中が二十三と二十八に支配されている≠ニ確信すると、二十八日周期を「女性」、二十三日周期を「男性」と呼んだ。そんなフリースの発見から何年かたった一九〇四年、ウィーン大学のヘルマン・スヴォボダ博士(一八七三〜一九六三)が、まさにこのふたつの周期を独自に発見したと主張した。さらに一九二〇年代には、オーストリアの工学教師アルフレッド・テルチャーが、一周期三十三日の「心の(マインド)」周期を追加した。その根拠とされたのは、生徒の勉強ぶりが三十三日周期にしたがう、というテルチャーによる所見だった。
  一九七〇年代に入ると、ジョージ・トメン(一八九六〜一九九〇・『これがあなたの一生?──バイオリズムはあなたの各ライフサイクルを判断するのにどんなに役立つか』)とバーナード・ギットルソン(『バイオリズム──パーソナルサイエンス』)によって、バイオリズム理論は世に広く知られるようになった。ただし、どちらの本もバイオリズムに科学的根拠をあたえているわけではない。どちらの本も、思いつきや逸話同然の内容からなるものにすぎない。けれどもそれらの本によって、期間(ピリオド)という静的な観念は周期(サイクル)という動的な概念に置きかえられ、身体周期・感情周期・知性周期と称されるようになった。おもしろいのは、女性(フィメール)期間(ピリオド)が感情周期になっただけではなく、<身体周期が二十三日、感情周期が二十八日>というのは男も女も同じ≠ニ言われていることだ。男性と女性では生物学上の性質が異なる以上、独自の異なる周期がそれぞれに最低でもいくつかはある、と考えてもよかったはずなのだが。
  近年になって、新しい周期がさらに複数追加されている。それは、三十八日周期の直感周期、四十三日周期の美的周期、五十三日周期の霊的周期である。そのほか三大周期を組みあわせた周期の類もある、と主張する人もいる。情熱(パッション)周期は身体周期と感情周期を結びつけたもの。知恵周期は感情周期と知性周期を結びつけたもの。支配(マスタリー)周期は知性周期と身体周期とを結びつけたものである。だがどんなに多くの周期があっても、役目はみんな同じである。どういう類の日になりそうかを予測する、ということだ。
  バイオリズム理論に対する意味のある検証≠烽「くつか行なわれており、ことごとくバイオリズム理論を支持しない結果に終わっている(★315)。いっぽうバイオリズム理論の支持者は、ガラパゴス諸島の島の数よりも多いアドホック仮説をもって、バイオリズム理論に妥当性がないことを証(あかし)立てた根拠≠ノついてうまく釈明しようとする。そのひどい例のひとつに、ときによって(または始終)周期がずれている人もいる、という仮説がある。どんなに都合の悪いケースでも、周期がずれていると言えば何とか言いのがれができてしまう。もうひとつお気に入りのアドホック仮説は、子どもの性別も母親のバイオリズムによって九十五パーセントの確度で予測できる、というトメンの主張である。それによると、受胎時に、母親の身体(男性)周期の値が高ければ男の子の確率が高く、感情(女性)周期の値が高ければ女の子の確率が高いという。しかし、ワシントン大学社会学教授のW・S・ベインブリッジが研究してみると、バイオリズム理論を使って生まれてくる子どもの性別を予測しても当たる確率は五分五分にすぎない≠ニいう結論が出た。つまり、コイントスと同じ確率というわけだ。ところが、バイオリズム理論擁護派の人間がベインブリッジにこう言ってきた。バイオリズム理論があてはまらない場合はたぶん、性同一性の定かでないホモセクシュアルの人が多く含まれていたのでしょう!
  バイオリズムを支持する傍証もほとんどは、逸話の形を取るものにすぎない。中でもとくに好まれる例のひとつに、一九七二年のオリンピックで七個の金メダルに輝いたマーク・スピッツ(一九五〇年二月十日生まれ)にまつわるものがある。スピッツの感情周期と身体周期はミュンヘンオリンピック事件のあった九月五日、頂点に収束した。いっぽう知性周期はこの時期ずっと非常に低調だった。スピッツの偉業がバイオリズムによるものか泳ぎの能力によるものか判断せよと言われたら、論理的に考える人なら、オッカムのかみそりによって、より簡単な説明のほうを選び、バイオリズムを否定するだろう。いっぽう、野球殿堂入りをはたしたレジー・ジャクソン(一九四六年五月十五日生まれ)は一九七七年十月十八日、その輝かしい球歴の中でも最高の日をむかえた。三打席連続ホームランを三球連続で三人の違う投手から放ち、ニューヨーク・ヤンキースがロサンゼルス・ドジャーズとの試合に勝ってワールドシリーズを制覇するのに貢献したのだ。だがその日、ジャクソンの周期はいずれも、マイナスの相の最低点まで来ていた。だが、バイオリズムを擁護するある人は、ジャクソンのやったことはバイオリズムグラフから予測されることの逆をいくものだった≠ニ認めるどころか、こんなアドホック仮説を考えついた。たとえマイナスの相の最低点まで来ていたとしても、ジャクソンの周期はいずれも向きを転じて昇りだそうとしていた。このため、「エネルギー放出量の増加」が起きた。ジャクソンは実際、エネルギーの回復と同期化を行なった。そのおかげで偉業をはたした=iwww.ziplink.net/~rstriker/newsltr5.htm)。
  このダイナミックなエネルギー説でいくと、仮に周期で厄日にあたっていてもいい日になりこともありうるし、プラスの周期にあたる日でも厄日になりかねない。さらにまた、その逆もありうる。上昇中か下降中か、回復中か放出中か、力を利用できるかできないかによって変わるというのだ。こういう理論の組み立てに対して、反駁するのは無理かもしれない。また同時にそのせいで、検証することもできないし、あてにもできないので将来の予測にはほとんど役に立たない。そんな理論ならば、どんなことにもこじつけられる。マーク・スピッツとレジー・ジャクソンのバイオリズムのように、判断が逆の場合でもだ。だが何にせよ、バイオリズム理論によるいかなる鑑定よりも、両者の業績が賞賛に価するのは確かなのだが。
  バイオリズム理論の周期は、生物体の研究から導きだされたものではない。また、科学的研究と呼べそうなものによって裏付けられたこともまったくない。バイオリズム理論が誕生してかれこれ百年にもなるのに、その理論を裏付ける論文を(一本でも)掲載したことがある科学論文誌は、いまだにない。バイオリズム理論を裏付けようとした研究はすでに三十例あまりあるが、そのどれをとっても方法論上や統計学上の誤りに足もとをすくわれている(★315)。また百三十四件ほどの研究を検証してみて、バイオリズム理論に妥当性のないことを突きとめた例もある(同)。経験的に検証可能な理論をもてはやす者たちが、圧倒的な反証を突きつきられてもまだその説を放棄しようとしないとき、その説を疑似科学的と形容することは理にかなっているように思われる。
  ★312・313・464・587

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